広島高等裁判所 昭和42年(う)260号 判決 1968年7月12日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
<前略> まず職権をもつて本件控訴の適否を判断する。
原裁判所は、本件につき昭和四二年七月二〇日被告人を懲役一年に処する旨の判決を言い渡したところ、原審弁護人稲光一夫が同月二六日当裁判所に宛てた控訴申立書を原裁判所に提出したこと、ならびに、当時山口刑務所に収監されていた被告人が同月二五日同刑務所長の代理者に原裁判所宛て控訴取下申立書を同裁判所に提出し同月二七日裁判所に到着したことは、本件記録上明らかである。ところで、上訴の取下とは一たん上訴権を行使した当事者がその後にいたり上訴の意思表示を撤回することをいうのであり、その効果として、上訴期間経過後の上訴取下は相手方の上訴がない限り訴訟手続を終了させ、上訴期間内の上訴取下は上訴権を消滅させるのであるから、上訴の取下は上訴権を行使した後においてのみ許されるものというべく、上訴の申立前においては、上訴放棄の申立をして上訴権を消滅させ得ることは格別、上訴の取下をしても本来の効果は生じない。本件のごとく、事後に控訴の申立があつても、これによつてさきになされた控訴の取下が有効となるものとは解されない。ところで右申立書には「私儀恐喝被告事件に付昭和四十二年七月二十日山口地方裁判所宇部支部に於て言渡されたる懲役一年の判決に対し不服ありませんので取下致します」との記載があり、書面の形式上これを上訴権放棄の申立書とは認め難いとしても、すくなくとも被告人は原判決に対する不服申立をしない意思を明示したものと解し得られるから、原審弁護人のした控訴申立は被告人の明示した意思に反したものというべきであるから、右控訴は刑訴法第三五六条に違反したものとして棄却を免れない状況にあつたものといわなければならない。しかし、本件記録および当審において被告人を取り調べた結果によると、被告人の当時の心境は不確実で一貫性を欠き当初原判決に対し控訴申立をするつもりで原審弁護人であつた弁護士稲光一夫を控訴審の弁護人に選任したものの、その当時出生した子供が成長してから服役することになつては子供のためにもよくないから早く服役した方がよいと考え、一方では生れた子供の顔も見たいので控訴して保釈が許されるものなら出所帰宅したいという気持も心中に残しながら、本件取下申立書を原裁判所に提出したのであるが、その翌日同弁護人から控訴を申し立てたことを知らされるに及び、同日保釈が許されたこともあつて、前記服罪の意思をひるがえすにいたつたことが認められ、右の経過に徴すると、弁護人の控訴申立は被告人の明示の意思に反してなされたものであつたが、被告人としてはその翌日に至り右の意思を撤回し弁護人の控訴申立を追認したものということができる。このように、被告人の明示の意思に反した弁護人の控訴は無効であるから棄却を免れないが、その棄却前に被告人が追認をしたばあいにはその瑕疵は治癒されたものと解するのが相当であつて、結局本件控訴は適法であると判断する。<以下省略>(幸田輝治 浅野芳朗 畠山勝美)